小学校でいじめが問題になってるけど
いじめは子どもの問題じゃないよ |
みんなは、なにがいじめの問題だかわかってるかなぁ?
これは大切な問題だから、まず伝えないといけないことを書くよ。
これは、小学生のみんなに原因があるわけじゃない。
大人の問題なんだよ
だから、おとうさん、おかあさん、パパ、ママ、それから学校の先生やPTAのみんな、教育委員会や地域のひと。
警察や市役所のひと、市会議員や衆議院さんにも聞いてもらいたい。
大人の問題だからね
ここから、いつものじゅにあに戻って説明するね。
まずは学校って
せんせい、せきがえいっちょおねがいします! |
その中に学年があるじゃない?
学年の中にクラスがあって、クラスの中にグループ(班)があるよね。
このグループ(班)のなかに、となりの席とかあると思うけど、いじめの最初はこの一番小さい単位のとなりでおこってるんだ。
めったなことで6年生が1年生をいじめたりしないんだよ。
もしも、となりの子にいじめられたらどうする?
たぶん、先生にお願いして席替えしてもらいたいって考えるよね。
ここで、
問題が3つ出てくるんだ
- いじめられていることを先生にいえるか
- 被害者よりもクラスをたいせつにしていないか
- 被害者が逃げられるしくみがあるか
それぞれ解説してみるね。
1.いじめられていることを先生にいえるか
ボク、いじめられてます |
「となりの子にいじめられてるんだけど」って、先生に言えるかどうかがまず1つ目の問題。
まずは「となりの子にいじめられてるんだけど」っていうのは、さっさと言おうね。
だけど、いいたくない気持ちもわかるよ。
相談したあと、先生の対応とクラスの反応が読めるちゃってるからだよね。
先生は自分なんかよりクラスのことを大切にする。
言ったってぜったいうまくいかないって自信がある。
(へんな自信だけどね)
学校の先生からはこう言われるよ。
「友だちどうし仲良くしよう」って。
ここが大人の問題その1だ。
「友だちどうし仲良くしよう」
いじめてるひとが友だちなわけない……
いじめられてる自分よりもクラスが大切なの?
2.被害者の自分よりもクラスをたいせつにするんじゃないか
友だちと仲よくしなくちゃね |
学校の先生にやっとの思いで相談したよ。
そしたら先生から「わかった、だけど、友だちと仲良くしなくちゃね。となりの子にも、仲良くしなさいっていっておくよ。」
せっかく相談したあなたは、
「ええぇ、そりゃないよ〜」
じゃない?
本当は、被害者をたいせつに守らないといけないんだ。
この先生の発言は、先生が学校をたいせつにしてるからだよ。
日本は特にそうなんだけど、みんなといっしょってことがたいせつにされている。
だから、先生は、だれかを特別扱いするのはよくないっておもってるんだ。
こんなのが日本人のスピリットだと思うんだけど、
日本人のスピリット
- 友だちを大切にしよう
- 人類一家、みな兄弟
- 雨降って地固まる
これはすごく正論だ。
正論っていうのは正しい言葉って意味があるんだけど、「正論をふりかざす」っていういいかたもあって、こちらは、「正しいことを言うことで、相手をコントロールする」ってことだ。
先生から「友だちを大切にしないとね」っていわれると、もっとがまんして「ともだちと仲よくしなくっちゃ」っておもっちゃうよね。
そんなことよりも「いじめるひとは友だちじゃない」っていうほうが本当だと思う。
すきじゃないひととは距離をとればいいんだよ。
だけで学校じゃ距離が取れないのが問題なんだ。
これは、きみたちの問題じゃなくて大人の問題だよね。
これからの世の中、多様性(たようせい、ダイバーシティ)っていうのが大切なんだけど、たとえば、人種差別とか生物の多様性とか宗教の自由とかに直結する考え方だよ。
そのためには日本人も国際的な考え方が必要だと思う
国際人のスピリット
- いろんなひとがいるし、自分もみんなとはちがう
- いやなら遠く、好きなら近く
- 好きも嫌いもみんなちがう
学校の先生は、クラス運営をたいせつにしているよ。
生徒よりもクラスの方をたいせつにしていることもある。
もし、生徒一人ひとりがたいせつだったら、もっと一人ひとりに寄り添ってほしいよね。
たとえば、
「席替えしてください」ってたのんだら「席替えくらいおやすいごよう」って、さっさとやってくれるだろうね、ホントは。
もっときがきく先生だったら、「席替えくらいでいいの?クラス替えがいいんじゃない?」って、いってくれるかもしれない。
3.被害者が逃げられるしくみがあるか
いじめるひとは友だちなんかじゃないわよ |
つらい思いをしてまで仲良くする必要はないよ。
たとえば、電車に乗ってるときに、学校の先生が酔っぱらいにからまれたとする。
よっぱらいのおっちゃんが「にいちゃん、いい時計してるなぁ、ちょっとかせ」みたいなこと言ってきたら、その学校の先生だって、電車の車掌さんがいる方に逃げるよね。
または、次の駅で電車から降りるかもしれないし、となりの車両へ、だまってうつるかもしれない。
そうするのがふつうの大人のまっとうな行動だ。
これは、専門用語でいうところの「逃避(とうひ)」っていうんだけど、「逃避」って、かんたんにいうと「にげる」ことなんだ。
にげるって大切な行動なんだよ。
人類には「にげる」って本能がちゃんとそなわってるんだ。
もちろんねこにもね。
なんのためににげるかしってる?
にげるのは自分を守るためなんだよ。
さっきの電車の中で学校の先生が酔っぱらいにからまれた話だけど、まさかそのときに「人類みな兄弟だから仲良くしなきゃ」ってことで、酔っぱらいのおじさんの言うとおりにしないでしょ?
嫌なことから逃げていいし、逃げたほうがいいんだよ。
逃げれないとどうなるか知ってるかなぁ?
「いじめ」がおこっちゃうんだよ。
それは、大人の世界でも同じだよ。
たとえば会社。
大人の世界でもいじめがあるんだよ。
パワハラとかセクハラとかきいたことあるかな。
もう一つたとえば、介護施設。
おじいさんおばあさんが、いじめられて怪我したり窓から落とされたんじゃないかって、事件にもなったよね。
会社でも、いやな会社ならやめればいいし、部署の変更してもらってもいいんだ。
介護施設だって、よそにうつればよかったんだ。
だけど、にげられなかったんだよ、どちらも。
で、小学校の話にもどるけど、小学校でどうしてきみたちはいじめから逃げられないのか?
その理由が少しわかってきたかなぁ。
小学生がいじめから逃げられない理由は、友だちと仲よくしないといけないっていう価値感を押し付けられてるからだよ。
それから、学校がせますぎるってのも理由だな。
校庭や校舎が狭いって意味じゃなく、考え方がせまいって意味だよ。
こんなひともいるんだって気づいたら、同じ人間にしようとするんじゃなくて、こんなひともいるんだって受け入れないといけない。
受け入れるっていうと、「じゃあ、人類一家みな兄弟」になっちゃうけど、そうじゃなくて「受け入れないことをしない」って意味なんだよ。
そのために、人間関係は距離感で調整するんだ。
人間関係を距離感で調整するとは
- いやなひとからは離れる
- すきなひとには近付く
- 拒絶や無視や攻撃することじゃない
そのためには、学年の途中でクラス替えできたり、かんたんな席替えやグループ(班)替えだったら、しょっちゅうできるような柔軟なクラス運営が必要なんだよ。
まとめ:小学校でいじめが問題になってるけど
まさか、子どもがわるいんだと思ってた |
今回はひさびさにマジメなテーマになっちゃったけど、いじめの問題は大人の問題だってわかってもらえたかなぁ?
またいつものじゅにあにもどるけど、これからもよろしく。
もしもいじめっこを見返してやりたくなったら、ブログを始めるといいよ。
そのときは、ボクがお手伝いするからね〜。
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