大震災の翌日、店長さんは被災地に行った

2021/06/28

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大震災の翌日

大震災の翌日
あらまあ、たいへん、じしんだわ


店長さんはしんせきのひとがいわきに出張してるってきいたので
救出することにしたんだ
親戚の人って、ふつうにしていれば中国地方にいるんだけど
なぜか運悪く、いわきに出張しちゃったんだ
大震災は確か金曜日だったから土曜日は店長さんも休みだし
どちらかというとピクニックがてらの救出っておもってたらしい
家族や実家にも相談したら、そうしてやって
といわれたんだって
まずやることは
自動車は会社の自動車を貸してもらって
その車にガソリンを満タンにしておいた
大震災当日はガソリンスタンドが混雑していなかったらしいけど
翌日はどこでも行列ができてたんだ
店長さんは栃木にすんでたんだけど
いわきまでは行ったことなかったらしい
そして、高速道路も通行止めになっているって聞いたので
した道でとにかくいくことにしたんだ
ボクはそのころまだ生まれてなかったから
店長さんに聞いたことを今回は書くね
天気ははれてたらしくて朝5時に出発
店長さんのご家族からは缶ジュースとかおにぎり弁当とか
準備してもらって、店長さんもちょっとやる気が出てきたみたい
店長さんの車は普通車の箱バンだったらしくて
ちょっと狭い道路だったら無理だなぁって思ってたらしい

東北自動車道は不通になってたので

東北自動車道は不通になってたので
国道よりも山道のほうが早いけど
がけ崩れの危険もあるよ


宇都宮から国道4号線を北上
途中から国道4号線は大混雑してるだろうと思って
山の中のみちにはいったらしい
ナビで検索しながら走ったので
どの道を走ったかは覚えてないらしいけど
「えらいやまみちだった」
ことだけは覚えているみたい
途中で、自宅と、
行方不明の親戚のひとに電話するんだけど
電波が通じてなくて全然ダメ
ときどき、
店長さんの自宅に連絡が付くくらいだったらしい
いまはあまり使う人いないのかもしれないけど
SMS(ショートメールサービス)っていうのがあるでしょ
あれで、しんせきの人にメッセージをいれたら
返事があったんだそうだ
それが、どこにいるのかじゃなくて
「こっちはだいじょうぶ」っていうメッセージだったらしい
店長さんもしんせきの人の家の人も
そのひとがどこにいるのか
わからないでいるんだけど
遭難者はたいがい自分が遭難していると思ってないから
気楽なものなのかもしれない
いわきにいるって
しんせきの人の自宅には連絡が入っているので

いわき市のホテルだろうとは見当がついていて

いわき市のホテルだろうとは見当がついていて
ホテルもグシャグシャ道路もグニャグニャ


山道を降りて、いわき市に入ったら
駅前のホテルの玄関ガラスがバリンバリンに割れていて
歩道は波打ってたそうだ
店長さんはちょっとショックだったみたい
到着したのはお昼過ぎだったらしい
それまで、山道のガソリンスタンドというガソリンスタンドは大渋滞していて
それだけで店長さんは悲惨な現地の状況を察知してた
がけ崩れもあったみたいだけど
まだ、ロープもかけてないし通行止めにもなってなかったらしい
余震ってのが30分間隔くらいであったのかな
そのたびに道路がぐにゃぐにゃ、うねうね動いてたそうだ
いわき市についた店長さんなんだけど
しんせきの人がどこにいるのかはわからないし連絡もつかない
多分ホテルなんだろうけど、いわき市のビジネスホテルは
っと、カーナビで検索して駅近(えきちか)のホテルを
聞いて回ろうとしてたんだ
で、カーナビ検索したら
よく聞くホテルチェーンの「〇〇イン」とか「〇〇ホテル」にまじって
「ホテルソレイユ」というのがあった
https://breezbay-group.com/iwaki-soleil/
結局そこにいたみたいなんだけど
店長さんは、いちばんにそこに行ったんだって
どうして一番にそこへ行ったかというと
しんせきの人がやってる障害者就労支援のNPO法人が
スーリール」って名前だったから(←Facebookのリンク)
ホテルソレイユのソレイユはフランス語の太陽でスーリールもフランス語の笑顔なんだ
意味はきっと同じ「太陽」からきてるんじゃないかなと思う
そのことにピンときて
店長さんはホテルソレイユのフロントいったら
こんな風に教えてもらったんだって
「たしかに、そのかたは、けさまでいらっしゃいました
おげんきでしたよ、ですが、ここにはいらっしゃいません
福島空港から飛行機に乗るっていわれてました
福島空港にはバスで行かれたと思います」
たぶん、ホテルの方がいわき市からの脱出方法を教えてくださったんだと思う
なにしろ、JRは全線不通、高速道路も不通だったから
店長さんはどうするかなぁと考えたんだけど
ホテルが一発ビンゴだったので福島空港まで行ってみることにした

福島空港はクルマだと1時間くらいでつく

福島空港はクルマだと1時間くらいでつく
ただいま、飛行機も欠航しております


って聞いたんだけど
ホテルの人は高速道路が不通になってるのを計算に入れてなくて
高速道路の真下の一般道を通って
結局2時間かかって着いたんだけど
飛行機は飛んでなかった
途中カーラジオを聴きながら
大震災の状況を分析してた割には
なんで飛行機が飛べないのかはよくわからなかったみたいだけど
午後3時くらいだったんだと思うけど
飛べない飛行機が待機している福島空港には
避難しようとしている人がいろんなところに
荷物をいすがわりにしたり
ビニールや段ボールをしいて寝転がってる人がいた
内戦があったら日本もこんな風景になるのかもしれないって思ったけど
これは、日本で現実に起こったことだね
さてと、店長さんはその難民の中からしんせきの人を見つけなくちゃいけない
とりあえず、空港ビルのなかを1階と2階、はしからはしまで歩いてみようと思って
あるき始めて200mくらいで、もうめぐりあっちゃったらしい
それは、階段のわきにある、あまりひとがいない
ネコみたいなスペースだったらしい
「あれれ、こんなところにいた」
「おおー、きてくれたんか、こんでも、飛行機で羽田まで行けたんじゃが」
ここで、店長さんはがっくしきたらしいけど
しんせきの人はそれもさっして
一緒にクルマで帰ることにしたんだって
それで、家族になんとか電話してそのことを伝えたところで
しんせきの人がこんなことをいったんだって
「なんか紙とか段ボールあるかなぁ」
「なにするの?」
「それからマジック」
「???」
「ああ、クルマで帰るならほかに乗る人がいるか募集しろって、家内が……」
なるほど!
ということで
会社の契約書かなんか重要書類の裏側に

「同乗者募集、都内まで」

「同乗者募集、都内まで」
結局、都内まではたどり着かなかったけど


って書いて、二人で空港ロビーをまわってたら
あっというまに7人定員が決まった
バンの荷台のシートをおこして、8人席のりにして
みんなで乗り込んだんだ
店長さんはもうおぼえてないけど、
女性も一人いらしたらしく
男の子を連れてたのかもしれない
っていってた
そのひとは、海外在住で、たまたま帰ってきたら震災にあったんだって
そのまま、羽田についたら海外に行くはずだったらしい
そのほかに、店長さんの知り合いがひとりのっていた
ふだんから飛行機で日本国中を飛び回る人だったらしいんだけど
店長さんとこの会社も営業先で、店長さんとは仲良しだったらしい
そのほかの人とも、車内でぽつりぽつりと会話しながら
それとなく、みんなで何が起こってるのか確認しあってた
でね、
あっというまに夜が来ちゃうんだけど
山越えしている最中に、おおきな穴につっこんで
クルマが「がしゃーん」っていったときは
車内のみんなが悲鳴を上げたそうだ
そのまま、くるまははしっていけたんだけど

国道4号線まで出てからは

国道4号線まで出てからは
大渋滞!


そこからまったく動かなかったらしい
須賀川、白河、をこえて、
やっと栃木県の那須、矢板、宇都宮についたときは明け方3時
それから小山まで2時間かかって、そこで店長さんも力尽きたらしい
みんなを東京までおくれなくてごめんなさいっていいながら
小山駅でおろしたんだ
新幹線が動いてるはずだったんだけど、とまってた)
そのあと、みんなは、電車じゃなくてバスで東京まででたらしい
ホテルも泊まれなかったらしいし
「大変申し訳ないけど」って店長さんはいうしかなく
さて、店長さんのしんせきの人は
何年かたって新潟地震の時は新潟にいたし
北海道地震の時も小樽にいたらしい
だけど、それいらい
店長さんは助けに行っていないらしい

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