家庭に潜む母の期待|人生の終盤で子どもに自分の人生を託すことはいいのか悪いのか?
母という重荷を背負っている娘がいるという話を聞いた。
身近な例をまじえながら解説していきます。
このような方向けの記事です。
✓親のことを毒親だと思っている人
✓自分は被害者だと思っている人
✓大学では成績優秀、エリートと結婚して、絶望を感じている方
✓死にたいと思ったことがある人
家庭に潜む母の期待|人生の終盤で子どもに自分の人生を託すことはいいのか悪いのか?
母親が過度な期待を娘にかけることで押しつぶされそうになっている人がいます。
母親は団塊世代(70歳-80歳)、娘(50歳-60歳)です。
そして、この娘に育てられた娘たち(20歳-40歳)にも影響が及んでいます。
親のことを毒親だと思っている人
母に人生を乗っ取られている子ども(とくに、娘)がいます。
私の母は、戦中生まれで、団塊世代の古いほうです。
戦後大量に世の中へ送り出され、教室足りず、学校教育は原則的な民主主義教育、日教組・勉強さえしていれば学歴つけてステータスアップできた時代です(とはいっても相当な苦労をしたようですが)。
1960-1970年代は、朝鮮戦争もあって先進国の仲間入りをした頃に家庭を構えています。
私はよくこの母とけんかをしていました。兄もそうでした。妹もそうです。
当時は思っていました、母が好きなわけではなく「親は思い上がっている」ような気がしていました。
母からの期待
あの親にさえ愛されなかった自分が、他の誰にも愛されることはないという想いを持った、私。そのような子どもたちは他にも多くいます。
成長した子どもたちは「何かの拍子にでも、わかってもらいたい」と思っています。
- 自分を愛してほしい
- 一言でいいから、謝ってほしい
この気持ちはあきらめなくてはなりません。
なぜなら、施設に入った母に会わなくてよくなる時期に差し掛かっているからです。
- ひとりになって安心した人もいます
- 施設に入っても憎々しいことしか言わない母もいる
- 面会できない
会えなくて残念と言いながら、ホッとしている子どもたちもいます。
毒親といってやった
親に向かって毒親と言ってやった、という子どもたち世代にとって、毒親と宣言することで解決できる問題は何もありません。
せいぜい、自分の気持ちが一瞬スカッとするだけです。
絶縁することになるかもしれませんし、以後の話し合いはすべて弁護士さんにお願いしないといけない問題になってしまうと思います。
そんなことなら「重かったんだよ」とひとこと、伝えてあげるだけでいいように思います。
自分は被害者だと思っている人
子どもの自分は被害者だと思っている人はたくさんいます。
母がどう思うか、仕返しをしたい、ひとこと言ってやりたい、その反応を見ておきたいと、考えています。
- 結婚しても親はかわらなかった
- 母は自分の人生の同盟者で母の夢を実現してきた
- 最期は娘が救ってくれると思っているような気がする母
- まるで娘に寄生しているかのよう
親子愛というのは幻想?
娘は母が大好きというのは、うちの母を見ていれば幻想だと気が付いてくれているように思います。
妹は母からの距離を少しとることで、関係を修復しようとしています。
これには時間がかかりそうに思います。
世の中一般的な家庭
普通の家族でしたら、家族のきずなの中心に母がいて、夫婦のきずなは薄い(ない)というのが一般化しています。
母の愛のなかに、子どもを支配する意味合いがありますが、親も子もそのことに気づいていません(親の愛と思って疑わない)。
場合によっては子ども(とくに、娘)にとっては、苦しい、押しつぶされそう、重いと感じることもあるのですが、母は気づかないでいます。
- 年なのよ……。
- あなたたち子ども(特に、娘)しか頼る人はいないんだから……。
- 子どもをもって見れば(娘の場合は、産んだら)親の気持ちわかるから。
こんなことばを何度も聞いてきたと思います。
実はこれ、父母がしっかりやっていれば、子ども(特に、娘)に対して支配性が起こることはないです(父親の役割として、母親をどれだけケアできるかにかかっている)。
大学では成績優秀、エリートと結婚して、絶望を感じている方
家事育児が自分の役割と思っている女性と仕事を生きがいにしている女性がいます。
大学では「なりたい自分になっていい」という教育を受けてきたのに、社会的な価値観の押し付け(モラハラやセクハラに近しい言動)、知らず知らずのうちに自らの価値観を曲げてしまった結果だと思います。
たとえば、
- 24までに結婚しなくてはいけない
- 2-3人のこどもを持つべきだ
- 子どもは家庭で見るべき
- 重い育児の責任
- 家事育児に関心を示さない夫
- 何のために勉強してきたのか
子どもの教育に没入していくことになります。
老後を考えると「娘がうまくいけば、人生かったも同然」
娘の立場からすると
「ママはね、結婚はどちらでもいいのよ、経済力つけなさい」「孫ひとりじゃねー」。果てしなく続く親の欲望。
母が幸せになるために生きる娘
自分の存在価値は、母の幸福で、母の不幸は私のせいと考えてしまう。
- 母の人生に責任を負うのは子どもの自分だ
じつはこれ、虐待の根幹にある考え方なのだそうです。 - 幸せになってほしい、幸せではないのは自分のせいかも?
自分のせいもと考えるのは、幼児的万能感の裏返し
幼児的万能感というのは、自分にはすごいことができるという万能感のことですが、その裏返しで、「うまくいかなかったのは、自分のせいかも?」と考えてしまうことも幼児的万能感と言います。
- こどもが成長するための栄養となる感情
- いきすぎると、自然現象も自分のせいだと思ってしまう
(大地震が起こったのは、自分がいい子じゃなかったからだ)
この幼児的万能感、次の感情につながっていきます。
死にたいと思ったことがある人
たとえば、子どもの目の前で行われる家庭内暴力(面前DV)。
このとき子どもは「母が暴力を受けている理由は」自分(子ども自身)のせいだと思ってしまう。
この世に自分がいないほうがいいと感じることになります(私がそうでした)。
こういう子供は、生きるエネルギーを持っていない場合があります(生に対する執着がない)。
積極的に生きたいとか死にたいという感情ではなかったとしても、なにか事故があったときに「このまま死んじゃってもいいかな」と、生に対してあきらめを持っている子どもです。
- 災害時に逃げ遅れる子ども
- 川でおぼれる瞬間の子ども
- 左右確認もせずに交差点に進入する子ども
こんな子どもたちの中に、何人かは制への執着が薄い子どももいたことだと思います。
「この世に到底生きる意味がない」「だから死んだほうがいい」という想いがあったのかもしれません。
まとめ|家庭に潜む母の期待|人生の終盤で子どもに自分の人生を託すことはいいのか悪いのか?
母の高齢化で弱ってくる親をみると「やっぱり自分が世話しなければ」と思いますが、その場合でも「親が弱いという子どもに対しての支配性」を発揮している場合があります。
母親は「子どものことは自分が一番わかっている」という思い込みを捨てる必要があります。子どもの立場からは「自分のせいだと思わない」ことが大切です。






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